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第2回 美しが丘連合自治会副会長 柳田富志男

たまプラPEOPLE #02 美しが丘連合自治会副会長 柳田富志男

今回のたまプラPEOPLEでは、美しが丘連合自治会副会長の柳田さんにお話をお伺いいたしました。
柳田さんは美しが丘東小学校防災拠点会長及び防犯ステーション会長として活動され、子育て支援にもご尽力なさっていらっしゃいます。

美しが丘は里山だった

昭和40年以前は何もなかった町でした。それこそ里山です。その名残が地名に残っていますが、例えば下谷(しもやと)は名前の通り窪地になっていて、雨が降る水や泥がたまる土地でした。そういう水があふれて普通の道が川になるので平川という地名になった。だから、このあたりは水との戦いがあったようです。
だから、昭和44年ぐらいでも雨が降るとみんな長靴を履いていましたよ。

美しが丘という地名になるまで

現在の美しが丘の地名は港北区元石川からはじまり、昭和43年に港北区美しが丘、昭和44年に緑区美しが丘になりました。そして平成6年に今の青葉区美しが丘になったのです。
その間に、昭和41年4月1日にたまプラーザの駅ができました。私たちの周りでは、みんなヨイヨイと言って覚えています。

不思議なご縁から自治会に参加

私自身は、たまプラーザに住んで40年になります。今までの生活で一番長いです。そして自治会との関わりは、不思議なご縁から始まりました。昭和43年に、美しが丘東自治会初代会長の飯島忠雄さんと偶然、外科病院の病室が一緒になり、その出会いがきっかけとなりました。そして、昭和46年から美しが丘東自治会に参加するようになりました。その当時、美しが丘東自治会の世帯数は約50世帯程度でした。

少年野球場から始まった自治会の活動

自治会での活動としては、最初、子供会と青少年指導委員を担当しました。
そんな中、昭和46年に美しが丘少年野球場(現在の美しが丘多目的広場)が出来、子供会と青少年指導委員をやっていたこともあり公園管理と、少年野球チームに関わることになりました。
その時、野球チームでは「みんなが仲良くする」「挨拶をする」ということをチームのテーゼとしました。野球が上手なだけではだめ。試合に出ている人もベンチにいる人もみんなが一緒になってやっていくということを基本にしました。そして、地域の貴重な施設を使わせて頂くのだから、町のために何かしないといけないということで、父兄の皆様にもご協力を頂いて地域の清掃活動なども積極的に行いました。指導者には、指導中にタバコを吸ってはいけないとか、グランドの周辺にゴミが落ちていてはいけないなどのルールを作って、外での評判を落とすようなことがないように気を使いました。そのことは、今も続いていると思います。そして、チームを作って約40年になる今では、当時の選手の孫が入ってくるようになっています。

自治会での活動

昭和47年には地区体育指導員連絡会立ち上げました。私が言い出しっぺでしたので、会長には野球チームの会長さんにお願いをいたしました。そして、翌48年には、青少年指導地区会長に就任しました。この時、自治会の推薦を頂き、2つ(スネークスとレデアンツ)あった野球チームの父母の皆様にご協力を頂きました。

歩け歩け大会を企画

当時、横浜市の5月の月間行事として「子供を大切にする」ということがテーマとしてありました。そこで、青少年指導員会と体育指導委員会、そして学校とPTAにご協力を頂いて昭和49年から「歩け歩け大会」を始めました。町が出来てある程度落ち着いて、自分たちの町を外に出て、自分の足で歩いてみようというのがこの大会でした。参加者は1回目で1500人になり、この人数を運営で一番問題になったのはトイレをどうするかということでした。これは結構たいへんな問題で、当時異動トイレも横浜市にも3台しかなく、とても参加者数をカバー出来るものではありませんでした。そこで、考えたのが、スタートとゴールを学校にするということでした。スタートを美しが丘小学校、ゴールを川和高校に設定し、地域の様々な団体やいろいろな人の呼びかけで多くの方に参加頂きました。40年代は、携帯電話もなかったので、運営が大変でしたが様々な方々にご協力を頂き成功させた有意義な活動となりました。
このような活動によって、私は40年経った今でもその当時の人たちと仲良くさせて頂いています。

高齢者と若者が触れ合う街に

私がたまプラーザに住み始めた当初と比べると今は、街が熟成したと思います。 ただ、当時はひたむきさがありました。なんでも一生懸命やるという雰囲気がありましたが、今は少し落ち着きすぎているように思います。
今の美しが丘ですと3丁目が高齢者、2丁目が若い人ということで町によって極端に違います。逆に言うと、今の社会現象が凝縮された街だと思いますので、その街を良くしていくことはやりがいがあることです。今回の3・11の震災をきっかけに街がもっとまとまっていけば良いと思っています。みんなが力を合わせてより良い街になることを願っています。

仲間、友達が財産

今までの活動を生かして、私は子育ての活動を支援していきたいです。
そして、活動を通じて出来た街の人たちとのつながりを増やし、仲間をたくさん作って行きます。それが、この街が良くなっていくことになると思っています。仲間や友達が私の財産です。これからも大切にして行きたいと思います。

学校に行くと、私のところに子供たちが集まってくるのですよ。と語る柳田さんの笑顔から根っからの子供好きということが伝わってきます。
これからも柳田さんの子育て支援活動で更に街が繋がっていくイメージが膨らみます。

写真をクリックすると拡大します。
  • 柳田さんが自治会と関わりを持つきっかけとなった美しが丘多目的広場にて
    柳田さんが自治会と関わりを持つきっかけとなった美しが丘多目的広場にて
  • 40年経っても整理整頓の行き届いた公園内は柳田様のテーゼが浸透している証
    40年経っても整理整頓の行き届いた公園内は柳田様のテーゼが浸透している証

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